おくりもの


海は午前0時すぎに帰天したので命日は27日なのですが
わたしにとっては26日の深夜がお別れのときでした。
あれから1年。
長かったような、短かったような。
あのふわふわに最後に触れたのは1年もまえだったかしら。

何度も心に描いて、幾度も触れ幾度も抱きしめた1年。

ふわふわの手触りや安心する体温や愛しい重さを
本当に感じたように思えるまで何度も幾度も思い描いた1年。


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一緒に暮らしていたときもいつも海のこと考えてたけど
寒くないか、暑くないか、快適に過ごしているか考えていたけど
いなくなってからはもっと海そのもののことを考えてたと思う。


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海のケージにはいつもペット用ヒーターが入っていたのですが、
そのコードには齧り防止蛇腹ガードがついていて、
海が内側からそれをひっぱるとコードがケージ金網をこすって
ガガガガガーッ!というかなり派手な音が出たんです。
海はわたしを呼ぶのにそれを使っていました。

毎朝、目を覚ますと力いっぱいそれをひっぱって、
おひさまの笑顔で顔を出しおはようと言う。
扉を開けてスロープをセットするのを待ちかねて
喜びではじけんばかりの勢いで飛びだし、
わたしがスロープを片づけご飯を用意するあいだ、
部屋中を走りまわる。


うれしいね
うれしいね
朝がきたよ

おはよう 
おはよう!


言葉がなくても、喜びって伝染する。
見てるとこちらもうれしくなってきて、
疲れていようとこれから仕事だろうと外は嵐だろうと
朝がうれしくなってきてわたしまでにこにこしてしまう。

そしてわかったのは、喜びというのは心に跡を残すということ。
海がいなくなってからも心のどこかにその名残りがあって、
喜ばしい感覚がときどき揺らめく。
疲れていたりこれから仕事だったり海だってもういないし
うれしいことなんてこれといってないときでも。
わたしが取りこんだ海の一部が うれしい って言う。

もらったもの
おひさまのよろこび
おくりもの

それを我がものとし、ふくらませ、誰かに分けること伝えること。
それができたら、それはきっと天の国の花になって
海もぴょんさんもみんなもそれを見てきっと喜んでくれる。


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あなたたちがそこにいるから天の国とつながる。
そこから言葉が降ってくる。
伝えて、天の花をここに咲かせたい。

天と地とで同じ花が咲く。
天の国と連動していく。


海、天に生まれて1年。

1歳、おめでとう。





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9月


8日はわたしの先々代黒うさぎテディの
17日は一時預かりっこのシエルちゃんの
そして27日は海の命日。

そんな9月の最初の日に
うさ友さんちのうさちゃんがお空に旅立ちました。

9月はどうしてこんなに多いんだろ。
夏をがんばってのりこえて、そのぶん体力が落ちちゃうのかな。
若い子元気な子ならちょっとした食欲不振で済んでも、
そうじゃない子たちにとっては。


そんな9月。
ちょっと沈んでた9月。濃霧たちこめてた9月。

うさ友anbouさんちの黒い子アンちゃんが、お空に帰ってしまいました。
テディと同じ8日のことでした。
同じ黒いネザーどうし、命日がおそろいだなんて・・・

ずっと続いてた食欲不振とスナッフル。よくなったり悪くなったりしながら。
お薬に手伝ってもらいながら一所懸命がんばっていたアンちゃん。
アニマルコミュニケーションを受けたときに
コミュニケーターさん(動物とお話しができるひと)を通して
「ママのこと、大好き!」と言っていたアンちゃん。
ママにその大事なひとことを伝えることができてよかったよね。


↓大好きだったクッションのうえのアンちゃん
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ボールさんや、ママお手製の黒うさ模様のご飯皿、
うさ友さん手作りの陶器の牧草入れ、
海ともおそろいの、足裏にやさしいマット。
愛情いっぱいの愛用グッズにかこまれて暮らした日々。

今年1月にお会いしたとき、
黒うさぎのネックレスを嬉しそうに見せてくれたanbouさん。
アンちゃんも大好きだったにちがいないその笑顔が
また戻ってきますように・・・


そして今朝、またおともだちうさちゃんの訃報が入りました。


ああ、なんだかどんどんここよりも天国のほうが
ずっとずっと親しく幸せなよい場所になっていきます。
みんないる。
9月はその扉が大きく開く月なのかな。


ぐぅちゃん
アンちゃん
茶太郎さん


そちらでどうかどうか幸せに。







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ひと晩で


満月のゆうべ、たったひと晩のうちに、
ふたりのうさ友さんのうさぎがお空に帰ってしまいました。


心よりご冥福をお祈りいたします。


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後悔は地上のもの。
天上は喜びでいっぱい。


正解がわからないから、
どんなに全力を尽くしても後悔の余地はたくさん。
助からないなら家から送ってあげたかった、って思うけど
そうなっていたらこんどは
病院に連れていったら助かったかも、って思うに決まってる。
治らないやけどみたいに、いつまでも痛い。


生だけ受けとることはできない。
死もあって、はじめて丸ごとのあの子なんだから。
やけどの傷だって、一緒に暮らした日々が
たしかにあったというその証拠。


後悔も痛みも涙も残された者のもの。
お空のみんなは嬉しそうに幸せそうに
笑って走って跳ねまわっているにきまってるから、
それなら、
この傷がどんなに痛くたってかまわない。


そしてもしかすると、この傷こそが
あちらにつながる窓なのかもしれないとときどき思う。
ここを通って、
続いていく日々の穏やかさや幸せやあたたかさや
あの子へのありがとうが、空まで届くのかもしれない。


届くなら、それはもっと嬉しくなる。









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うさぎの瞳

草食動物の多くは、とっても穏やかな目をしていますよね。
うさぎさんも、かわいらしくて優しい目をしています。
それは、子うさぎのころからそうなんですけど、
大人になると変わってくると感じた方、いませんか?


わたしの初めてのうさぎテディは3歳半までしか生きなかったので、
もっと若いころと比べて特に変わった印象は受けませんでした。
2代目のぴょんさんのときに感じたんです。
歳をとるほど深みが増すというか、表現が難しいんですけど、
撫でているときにわたしを見上げる大きな目に溢れているのは
暖かさ、優しさ、愛情、慈愛。そして深い信頼。
とにかく、なんともいえない目で見るんですよね。
観音様の目のよう。
と、当時は表現していました。


もちろん、大好きなおやつの袋に突進してくる姿には
慈愛なんてかけらもありませんでしたが(笑)


それに気づいたのは、ぴょんさんが7歳くらいのときでした。
当時4歳だった海には、感じたことはありませんでした。


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海も同じような深い目でわたしを見るようになったのは
たぶん、1年ほどまえからでした。
ぴょんさんと同じ、暖かな感情に溢れた瞳で見つめるんです。


撫でているとき、添い寝をしているときにふと見ると、
なんともいえない、大きくて深い深い目でじっとわたしを見ていて。
間近だから、吸い込まれそうで。
海にこんな目で見てもらえる自分はなんて幸せで光栄なんだろう、
そう思いつつも同時になにか少し悲しくなるような瞳でした。
なんでそんな目をしてるの?って訊いたこともあります。
答えがないのはもちろん、
次の瞬間いきなりがばっと頭をあげて
わたしの顔面を殴打してくださったりするのですが。


写真にうまく撮れたことはありません。
写真にすると、どうもあの深みはあらわれていない気がします。


大人になるとこんな目をするようになるのかな、と思ったのですが、
今、よく考えてみると、ぴょんさんも海も
それは最後の1年ほどだったかもしれません。


以前、あるうさ友さんが
言葉の通じない、種の異なる存在と信頼関係を築けることは
実はとてもとてもすごいことなのだ、と言っていました。
その信頼、絆は、人間同士より強くなり得るのだ、って。


↓ベッドのうえでグルーミング
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↓この手の持ち主が羨ましくてなりません
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↓このときのはなこは本当にわかってたかな
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↓自分がいまどんなに愛しい存在に触れているのか
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↓自分がいまどんなに幸せな人間なのか
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昨日の仕事のミスをうじうじ悔やんだり
今日はあと掃除とアイロンがけもしなくちゃと考えたり
明日の午後のお出かけには何を着ていこうか悩んだり
わたしは海がわたしに向かってきたほどまっすぐ純粋には
海に向かっていなかった気がする。


「いま」を100%生きることは、ヒトにはなかなか難しい。



このまえ、DVDを見ました。

↓ずっとまえから見たかった映画「大いなる沈黙へ」
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修道院のなかに流れる時間をただ撮影したものです。
修道僧たちの「時間」。
「生活」といえるほどの物語性はありません。
沈黙の修道院なので祈りの言葉以外の声はなく、
聖歌以外の音楽もなく、聞こえるのは鐘の音と虫の羽音。
約3時間、それだけです。

これがいまのわたしにはとっても良かった。
見ているうちに疲れた心も頭も空っぽになっていって、
見ているうちにそこをなにか違うものが満たしていく。
神さまの領域、海のいる場所にちょっと近づいたような気もち。
100%の「いま」。


あまりお勧めはしませんw
特殊だし、人によってはすごく好きになるかもしれないけど、
人によっては退屈で眠くなっちゃうと思うので


魂が洗われたような気持ちになりました。


予告編は こちら で見られます。









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喜びのかたまり

悪いことばかりじゃない、と思うわけです。

もう朝の5時に起こされることもないし、
冷蔵庫の野菜の在庫を常に気にする必要ないし、
病院代はかからないし、
踵のケアとお腹マッサージの最中に
わたしの膝のうえで眠ってしまう海につきあって
30分以上固まってる必要もないし、
暑いの寒いの低気圧だのを気にする必要もないし、
帰りが遅くなっても気にすることもないし、
洗濯機をまわす回数もぐんと減ったし、
気楽でちっとも悪くない。

そう考えてるうちに景色がにじんで見えなくなってきますが。


うさ飼いさんならとうにおわかりのように、

早朝に起こされること、
おいしい野菜を常にそろえておくこと、
病院代、ご飯代のために働くこと、
寝顔を眺めること、
ふくふくに乾いたマットやタオルを取りこむこと、
できるだけ急いで帰宅して顔を見ること、

は、どれも大きな喜びでした。


うさぎって、なんていう存在なんでしょうね。
ナオミさんもブログうさぎと暮らすということのなかの
愛うさぎ花ちゃんの回想録に綴っていますが
うさぎがそばにいると普段は面倒くさい家事でさえ
光にあふれた大切な大切な日常の喜びになるのです。


うさ友のくう姫さん、シュウママさん、ちぃ♪さんから
海色のプリザーブドフラワーの入ったフレームが届きました。

↓青いお花は海くん、
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↑パールははなこさんで、ふたりはいつも一緒、って
 (真珠ははなこの誕生石です)

さっそく海の写真を焼き増ししてきて入れました。
1~2枚でいいのに選べなくて、

↓けっきょく30枚も焼き増ししましたが・・・
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↑サイズの問題でフレームに合う写真は限られました・・・

そのお店では最小がはがきより若干大きいサイズだったんです。

↓一緒に、六ちゃんのママtomo_tomoさんからも
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↑うさぎ風呂敷に包まれた月うさぎのストラップとうさぎ懐紙が

それから箱に入っているのは

↓かわいいでしょう
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↑うさぎとお月さまのお菓子です

↓海ケージのなかの写真の海が
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↓いつもなにかを問いかけるような表情なので
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↑目があうたびに「大丈夫よ」と言っています

↓手前にあるうさぎはろうそくたてです
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↑右側の栗のいがは・・・カードなんです!

いがを左右に開くと、なかから栗が出てくるんです
ブラックノールさん(Black Rabbit)が
日本の懐かしいものを食べてはなこさんが元気になったら
海くん、きっと喜ぶから、と
お煎餅やたきこみご飯の素やふりかけ、お菓子を
このカードと一緒に送ってくださったのです。

海がつないでくれた、たくさんの優しい人たち。
いつも励ましてくれて、寄り添ってくれて本当にありがとう。


海は喜びのかたまりでした。
いつもにこにこしていました。

いったい、なんていう存在なんだろう、と思います。
海に限らず、うさぎっていうのは。

病気になってしまって、
あたりまえにできたことができなくなってしまって、
傾いた首では痛みや不快感もあっただろうに、
おやつを喜び朝を喜び、走って走ってはしゃいでみせ、
ころりと転がって幸せそうに眠り。

その顔にあきらめや悲しみが浮かぶことはなく、
かといって根性や努力が見えたこともなく、
あるのはただ常に希望や喜びや期待でした。

このブログを見てくださっている何人かの方が
「いつもにこにこしている、笑顔の海くん」と
海のことを表現してくれていますが、本当にその通りで。

ただただ、いまそこにあることを喜ぶ。そこにいることを喜ぶ。
その仕草、表情、姿そのものから喜びを発散する。
これはもうほんものの神さまの宝もの、
神さまが深い深い愛をこめて造ったとしか思えない存在。


わたしの好きな、読むと慰められる詩があります。
英国ではお葬式でよく読まれるのだと聞きました。
日本でも翻訳が出ているようですが、
著作権の問題などいろいろあるといけないので、
大雑把に自分で意訳したものですが、それはこんな詩です。



死なんて、なんてことないもの
わたしはただそっと隣の部屋に移っただけ
あなたとわたしの関係も距離も
これまでとまったく変わっていないのです

これからもわたしの名前をいつもと同じように呼んで
声を落としたり
悲しい声音になったりしないで

いつも一緒に笑いあったみたいに
これからも笑って、楽しんで、微笑んで、
そのなかでわたしのことを思って

あなたにとって人生はこれまでと同じ意味を持っているのです
なにもかも途切れることなく続いているのです
死はそのなかの、とるに足らない出来事のひとつ
わたしの姿が見えなくなったからといって
そこにいないということにはならないでしょう?

わたしはすぐそばであなたを待っているのです
ほんのつかの間、
次の角を曲がったところで

なにひとつ過ぎ去ることはなく
なにひとつ失われるものもなく
少ししたら、すべてはまた以前と同じようになるのです。
そのときにはこの別れのハプニングを思い返して
わたしたち、どんなに楽しく笑いあうのでしょうね!



 Death is nothing at all   
 ヘンリー・スコット・ホランド(英国の神学者・詩人)  


むかし、実話の臨死体験で死後の世界を垣間見た人が、
そこには自分の大好きな人たちが、
もう亡くなった人だけじゃなくまだ生きている人たちも、みんないた、
と話したという記録を読んだことがあります。
普通はまだ生きてる人も死後の世界にいるなんて妙ですが、
その人は死後も大切な人たちと一緒にいられることを知って
安らかに旅立っていったのだそうです。

それを思い出してこの詩を読むと、
それは本当なのかもしれないと思います。
「隣の部屋」からいつでもこちらを覗いたりこちらへ来たり、
現世の人間の曇った目には見えないだけで、
本当はみんなそばにいるのかもしれません。

天の国は
雲のかなたの遠い場所ではないのかもしれない。


↓そうだよ!
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↑このぼくの(ぐーたらな)姿、いまも見えるといいのにな





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